智ちゃんの志津川ボランティア日記 B
今日は志津川高校でのボランティア ―5月19日(木曜日)

おはようございます。矢野智子です。
今朝はめずらしく少し小雨もぱらつきました。
5月19日(木曜日)の報告です。

今日は志津川高校でのボランティアです。


登米市長沼にヴィーナスの湯という天然温泉あり。
軽井沢の企業が被災者支援としてマイクロバスをレンタカーして避難所の被災者を送迎している。
この企業(個人)支援は若い社長と運転スタッフが仙台を拠点に、震災直後の3月から各地で同様の送迎している。(6月まで)
18日に大久保で話を伺った女性の御姑さんも、ヴィーナスの湯の送迎バスを震災前から利用していて、震災後も送迎バスを利用して毎週出かけているという。震災前の日常が一つでもあってよかったと思った。

私と男性2人が付き添いボランティア、避難所の被災者13名参加。
志津川高校は毎週木曜の朝10時出発、片道一時間弱。
いつもは14時帰着らしいが、19日は13時から橋幸夫が来るので「間に合うように帰りたい」との希望者多数。
車内では避難所からパンと飲み物を人数分用意されていて配られたり、名簿で名前を読み上げて出席確認したり、後ろから飴がまわってきたり、わくわく顔で楽しみにしている人ばかりの遠足です。天然温泉だから行くとも言う。

ヴィーナスの湯に飾ってあった石ノ森章太郎ふるさと記念館のメッセージ。「町おこし人おこし・おこすは興すであり熾すであり起こすです…」

ご夫婦で参加の奥さんは、「久し振りに畑に行ったらにんじんが芽を出して葉っぱが大きくなってきていた」と嬉しそう。
以前暇だと言うボランティアに旦那さんと畑に行って貰い、草取りしてもらったことなど話してくれる。
育てた野菜は今は避難所で食材にしている。普段は自分たち家族で食べたり、息子さんのお店に出しているそうです。
車窓からは若葉が溢れ、ところどころ見える藤の花も今が満開。16日には神戸の藤は散っていたのでなんだか嬉しかった。

長沼は大きい。左手に大きな沼、右手にお墓の道。
「前に来たときはほとんどの墓石が倒れていたし、道も直しているときだった。志津川では石屋さんも流されて」と教えてくれる。今もいくつかのお墓は倒れたまま。
「ここは桜がきれい。蓮も咲く。」と言う。桜並木はもう青葉です。
温泉は皆めいめいに入り、介助は必要なく見守り程度。
12時出発だからいつもと違いバタバタ忙しそうにしている。
湯船の中で一緒になった方と話す。
「何も無くなってしまった、こんなことになると思わなかった。」などご自身や家族のことを話してくれる。
一緒のバスで来てないけど志津川の方も何人かいらしていて、久し振りと声を掛け合っている。避難所には居ないけど「水が出ないから来ている」と言う。

ソウルフラワーユニオン(後ろのメッセージは神戸のながたみなみ小学校から)

避難所にまだ橋幸夫は来ていない。お出迎えできるねなど言いながら心待ちにしている様子。
予定時間変更で<ソウルフラワーユニオン>が先にライブ。
「阪神淡路の震災のとき、長田で何度も演奏行った」と話し、駒栄南公園に行って子どもに刺激されて作った歌なども歌う。
<さいだらぶし>を演奏して、一気に場の空気が変わった。合唱になってすっかりのってきた。
被災してお店の無くなったコックの内田兄弟がここの避難所の朝晩の調理をしている。 彼らの関わりで今回志津川高校でのライブとなったようです。

バスで橋幸夫がやってきた。一人挨拶に立っていて、とても疲れている様子が明らかに見えた。
メンバーは橋幸夫・金沢明子・山本リンダ・ジュディオング・清水あきら・テノール歌手ジョン健ヌッツォの6名
それぞれに歌い、踊り、笑い、特にジュディオングは歌のときだけ衣装に早着替えして会場もヒートアップ。
被災者の避難所リーダも山本リンダと踊ったり、会場は盛り上がっていて素直に大喜びしていた。

山本リンダと踊る避難所住民リーダー山ちゃん

歌ったあともサイン・写真・握手に皆駆け寄っている。
色紙のないおじさんも上着をめくって肌着にサインしてもらって嬉し恥ずかし顔。
ジュディオングは震災後すぐ台湾で「私の育ての親の国のために」募金を呼びかけたと言っていた。

夕方に活動終わりアリーナ横の自衛隊風呂に入る。熊本の<火の国の湯>ののれんがかかっていた。
国境なき医師団カフェがすぐ上にスペースを作って、飲み物とお茶うけを出してくれる。

本日はここまで。

矢野智子


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