智ちゃんの志津川ボランティア日記 I
地元出身の方の協力で進んだ、写真整理 ―5月26日(木)


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5月26日(木)の報告

前日に引き続き、旧入谷中学校にて写真の整理。
東京から来た志津川出身の女性ボランティアさん。実家は流されたが、父母と兄家族の7人全員助かった。
そんなことは珍しいと言われると言う。ご両親とお兄さん家族は震災前一緒に住んでいたが、今は親戚の家を別々に借りて住んでいる。その女性はこの震災後、毎月帰ってきている。
ご両親もお兄さん家族も仮設住宅がまだ当たらないので何処に住むかわからないからと、お兄さんの子どもの学校は今も志津川。お兄さんが朝夕子どもの送迎、それが疲れるそうです。
女性は子どもの送迎に同乗して志津川に来てボランティアをしていると言う。

写真をビニル袋に入れるとき、名前など手掛かりがわかったら付箋でメモつけていく。

「あ〜!この人知ってる。5軒隣の人だ。十日町だよ。」「この子のお兄さんに昨日会った。」「○○ちゃんだ!」
次々と写真に映る人や場所が明らかになっていく。ぞくぞくしてくる。
お1人でも手元に写真が渡るように、誰かしら縁者に届くようにと思って写真の作業に携わるボランティアは、多くが町外から来ている。今後地元の方の協力を得られることが出来ればと、期待が高まります。
地元出身の方が協力してくださって進む大きな一歩を実感して、今日はこれが一番嬉しかったです。
ただ、この方のお友達などは、生活基盤など不安な中にあって協力できる様子じゃないということでした。
写真はかなり年代モノもあります。被災されて居る方の中で、集まって座りながらお話しながら袋詰めされた写真を見ていただいて手掛かりを多くする役割を担って貰うことが出来ればいいのに、と思います。

写真に映る後ろのテントに、回収されてきてまだ洗浄されていない品々が溢れている

写真整理の手伝いには現時点では、瓦礫の中から写真などを拾いに行く隊、ボラセン裏で洗浄する隊、残った泥を刷毛でこすり選別する・袋詰めする・展示用に貼っていくなどに分かれています。総じて『思い出探し隊』と呼ばれていて、赤いつなぎとヘルメット姿の大分県日出町の尾畑さん(70代)が初めのようです。
米川ベースで一緒の男性2人は尾畑さんと一緒に探しまわって、尾畑さんにすっかり惚れ込んでいました。
がれきの山の付近にかごが置いてあって、その籠の中には自衛隊が見つけた写真が入っているので籠探し。
籠を目指してずんずん進んで1人は隊を離れて居なくなってしまい、仲間うちでしばらく捜索されることになった。
「籠がチラッと見えた」と建物の中に入って行ってしまって「獲物を見つけた」感覚だったそうです。
夢中になっていくことも、周りが見えなくなって危ないねという話になり、ペアで動くことになりました。
2次災害に遭わないように気をつけること。とても大事ですね。

矢野智子

 

 


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