ペーパードームの台湾再生
   

1.震災と復興 ペーパードーム誕生 10年間復興の舞台

 


阪神・淡路大震災
1995年1月17日,阪神・淡路大震災によって神戸市長田区鷹取にあった鷹取教会(現・たかとり教会)は焼け落ちました。又、教会があった野田北部地区も建物の倒壊や火災で、尊い人命が失われるなど大きな被害を受けました。

たかとりコミュニティセンター
しかし、すぐさま教会には信者や住民、そして全国から多くのボランティアや団体が集まり、まさに救援活動の拠点となりました。その後も、外国籍の住民が多いこの地域で、言葉、文化、民族、国籍などが違う住民と一緒に新しいまちをつくることをめざし、2000年にはNPO法人たかとりコミュニティセンターが誕生し、現在も敷地内に8つの団体がネットワークを組んで、様々な活動を展開しています。

野田北部の復興まちづくり
 野田北部地区は、地区住民の熱意と一致団結により、まちなみ環境整備事業という制度を活用し、住民が自らまちなみのルールをつくり、細街路を、美しい街路として整備するなど、住民主体の復興を進めてきました。そして、地域内の様々な団体や人々をネットワークで結ぶ役割を担う「野田北ふるさとネット」を立ち上げ、持続的なまちづくりを目指して活動しています。


ペーパードーム
震災直後、建築家坂茂は焼け落ちた教会を紙で建てることを提案しました。その提案に対し、最初神田神父は「町の復興が先だ」と断ったが、粘る坂氏に「町の集会所としてなら」ということで誕生したのが、ペーパードームです。58本の紙管の柱にテント張りのユニークなペーパードームは、教会としてだけでなく、復興のための様々な舞台として存分に活用されました。新たな教会の建設が始まるまでの10年間、教会やまちの復興とともに歩んできたのです。

 
2.台湾921大地震 被災地市民交流 台湾へ旅立つ  


被災地市民交流会で突然の提案

1995年9月21日、台湾の中部で地震が発生し、広い範囲に大きな被害が広がりました。神戸からも震災後様々な形で支援に駆けつけましたが、その後も被災地の市民交流活動を続けてきました。2005年1月阪神・淡路大震災10周年に際し、台湾の復興まちづくり関係者を招いて記念交流活動を開催しました。ぺーパードームで歓迎会を行ったとき、挨拶に立った台湾代表の廖嘉展さん(新故郷文教基金会董事長)が、突然PDを台湾へ移設して再生したいという構想を提案したのです。

日本・台湾の協働プロジェクト
最初は半信半疑でしたが、次第に台湾と日本の協働プロジェクトとして進めることが決まりました。それぞれ実行委員会を作り、教会の信者さんたち、たかとりコミュニティセンター、それから野田北部まちづくりのネットワークなどを通し、全国の大勢の方々から浄財をいただき、無事ペーパードームを解体して神戸港から台湾台中港へ向け、送りだすことができました。

3年ぶりに台湾で再会
台湾へ到着してからいろいろな隘路に突き当たり予定は遅れましたが。その間、私たちも「立柱式」など、度々台湾へ赴きました。突然の申し出から3年半、台湾の関係者による粘り強い努力によって、921大地震の被災地「桃米村」にペーパードームは見事再生しました。完成式に神戸から30名が出席し、美しい田園の中新たな面持ちで建つ「ペーパードーム」に3年ぶりに再会しました。

 【ペーパードーム台湾再生年表】

1995.1.17 阪神大震災で鷹取教会焼失
1995.9.17 ペーパードーム(PD)完成
2000.8 NPOたかとりコミュニティセンター(TCC)
2005.1.17 阪神大震災10周年
2005.4.16 台湾・日本の実行委員会同時成立
2005.5.28〜29 たかとり10年感謝祭・最後のミサ
2005.6.6 PD解体工事開始
2005.6.23 台中港へ向け出港
2005.6.28 PD建材台中港へ到着
2006.11.19 鷹取PD台湾再生起工式典
2007.5.26 新たかとり教会及びTCC落成
2007.11.16 PD主体工事始まる
2008.1.25 「PD千人立柱」活動
2008.9.20 紙教堂PD新故郷見学園区祝福式
2008.9.21 新故郷見学園区正式オープン



 
 


ペーパードーム園区案内

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ペーパードーム台湾再生物語

神戸たかとりにあったペーパードームが、2008年9月台湾の埔里鎮桃米村に再生した物語。
(2012年2月・168頁 カラー)
    中国語もあります

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