智ちゃんの志津川ボランティア日記 N
これで報告お終い。素晴らしい機会でした! ―5月31日(火)


みなさま こんにちは。矢野智子です。
温かいお言葉いつもありがとうございます。
いつもいつも皆さんに励まされ勇気づけていただいてたお蔭様でこの2週間
皆さんがそばに居てくれて、一人じゃないと思えていました。
このメーリングリストに日々の記録をすることは、結局私にとって大変助けになりました。
素晴らしい機会をありがとうございます。皆様にお会いするのが楽しみです。
ただ、神戸に帰って森下でコップ2杯のビールでダウンしている今日この頃。
明日お会いして乾杯した途端寝てしまうかもしれないのが心配です。


5月31日(火)の報告

今朝は良く晴れて冷え込んだ米川です。5時台に起きるのも慣れてきた。鶯の声、今朝もよく響く。
教会での朝の祈りに出てみた。今日で米川を離れる3人の無事を祈ってくださいました。

いつも通りの7時40分ボランティアに向かい出発する人々を、今日は見送る。晴れて日が出ると暑くなる。

教会の隣の保育園に送りに来ていた女性に話しかけられる。「どちらから?」「神戸です。」
「遠いとこから宮城県のためにきてくださってありがとうございます。」深々と頭を下げられる。
一番上の息子さんが20歳、水道の仕事で原発近くに行っている。
現場で大変な思いをしているらしく、車の陰で泣いている日もあったという。
息子のお嫁さんは志津川で加工場の仕事中に被災、連絡が取れない。最悪のことを想定していた。
実際は、来日間も無い言葉のわからない外国人労働者を車に詰め込みアリーナに逃げて3日後に自力で米川に戻った。「天然系でいつもはとんちんかんだけど、良い働きをしたんだなぁと感心した。」
「家族が戻ってきて話をきくと、ここは恵まれていると実感する。私がなんでもかんでもわがまま言うと、被災地のことを考えて我慢しなさいと言われる。近くなのに中々行けないし。何か必要なものあれば言ってください。」
保育園には1歳の末っ子を連れて来てるという。「子育てされていることで充分だと思いますよ。」と言うと笑ってた。
明るい女性でした。被災地に仕事に行ってる家族も、彼女の雰囲気にほっとするだろう。


9時半に米川出発、ベース長の神学生とシスターに、私含め3人を登米市役所まで送ってもらう。
「登米は昔から知的水準の高いところで学校も集まってて裁判所まであって昔の県庁みたいな役割もあった。古い町並みがあるから時間があれば是非行ってみて。」22日番屋で出会った三塚さんの奥さんが教えてくれてた。
2週間で米川ベースと志津川の往復の道はわかるが、他はまるで位置も道もわからない。

仙台行きのバスを待つ、登米市役所前。
左から私、ベース長の神学生、残るシスターと帰るシスター


 

 

 

 

 

 

 



10時半のバスに乗り仙台へ。12時過ぎ仙台駅着。お昼時で駅構内にある飲食店に列が出来ている。仙台駅もきっと被災したのだろうけどあまりそう見えない。都心部だから復興早いのだろうか?
やまびことやまびこmaxなら東京まで5,000円(上りのみ。自動券売機の<おとくなきっぷ>、6月前半まで期間限定)。
仙台始発12時38分に乗る。席は空いている。途中の駅では時間調整で停車。郡山辺りは屋根にブルーシートが目立つ。
15時半頃東京駅着。窓口で東海道新幹線の切符を買い、新大阪行きに乗り換え、19時過ぎに鷹取着。
河合さん改札でお出迎えありがとうございます。
森下直行。お客さんの一人に「被災地、どうでした?」と言われる。
すごく当たり前な台詞に、とても戸惑う。何を話せばいいんだろう。
「テレビで繰り返し見ているけど、どうなの?」
何を言っていいのか言葉が出てこない。
私がテレビを余り見ていないから、共通認識もない。
これから繰り返し色々な人にきかれるとき、何をどう言えばいいのか。
はっとした時間でした。

きかれるとき、何を知りたいか具体的なほうが知っていることも答えやすいし、知らないと返事することも出来る。
日記にしても、話すにしても、私のフィルターを通ってしまう。それでいいのかな。
日記が報告になっていないのは、そういうことかな。今更ですが、戸惑ってます。


志津川のこと。
・5月下旬から瓦礫撤去が目に見えて一気に進んでいる。
・側溝や土地の排水悪い。所々ブロックがわざと排水のため?はがされて穴が開いているので、水溜りになったときは穴の場所を覚えてない道は通らないほうが良い。
・避難所は閉鎖されるところが多い。志津川高校避難所は現在130人程度、周辺地域1,000人をカバーしている。
・避難所を離れると個人では物資をもらえなくなるため避難所を出ない人も居ると言われている。
・仮設住宅が当たっても不便なところだと辞退する傾向がある。後になればもっと良い所に入れると思うらしい。
・仮設住宅の水道は6月に整備されるまで出ない。それまでの期間は物資から水を貰える。
・水道は1年かかると言われている。自衛隊の給水はその間続く。今はひと家族タンク3個までの制限あり。
・避難所に来る炊き出しは避難所に居ない人でも貰える。
(但し、ホテル観洋については町から避難者受け入れに対し食事込みの金額を払っているのでホテルで食べることになっている。)
・第1回思い出写真展は6月5日(日)まで旧入谷中学校。第2回以降開催詳細未定。

・27日漁協話し合いで牡蠣いかだ海におろして良いと許可出た。
・番屋の一人は「年金貰ってて権利もこれまで通りという年寄りは、引退してもらう」と考えている。
・保育園6月再開。志津川高校本部受付に配属されてた保育士は仕事に戻る。
・志津川高校の生徒は科によって他の高校2箇所に分かれている。放課後等部活利用が一部ある。


参考までに米川ベースのことも再び。
・朝晩冷え込む。夜空は綺麗。朝は4時頃明るくなり、夜は7時前まで明るい。日が出ると暑い。朝夕に町内放送あり。
・食事は、初めこそレトルトか缶詰だったが、18日からのシスターは毎日お袋の味系の食事作ってくれた。シスターによるかもしれない。(河合さんの送ってくださった食糧、皆で美味しくいただきました。ご馳走様です。ありがとうございました。まだまだあるので食材として現地にあります。)
・洗濯は、小物は手洗いし脱水、大物は溜まってきた時洗濯。部屋干しロープ、庭に物干し台あり。但し一日では乾かない。
・司祭館のトイレは山際で場所が悪く、雨の前後は特に匂い強く、食堂まで届く。教会までトイレ利用に行くため夜など我慢しがち。トイレが唯一のストレス。登米市も水洗移行推奨、司祭館や教会のボットントイレが珍しい。トイレ改善して欲しいとベース長に伝えた。
・自衛隊風呂かベースのお風呂入れます。
・徒歩圏内にローソンも郵便局もある。
・小林先生や河合さんの訪れた鱒淵は近く。林林館で買い物しているRQを見かけた。林林館は車で5分。


これで報告お終いです。

いつも自分本位な表現多くて、皆様には解読ご不便おかけしていたと思います。ごめんなさい。
私だけが知っているのは勿体無いから、私の見聞きしたことを出来る限り伝えよう、と思っていました。
遠くに居ながらも孤立せず自由な気持ちで居続けられたのは、この報告の仕組みのお蔭です。感謝しています。
被災地市民交流会の皆様、野田北部の皆様、ENGOプロジェクトの皆様、他お世話になったすべての皆様、
支えてくださってありがとうございました。

矢野智子


 


ボランティア日記
 自己紹介 @ A B C D E F G H I J K L M N 関連地図