智ちゃんの志津川ボランティア日記 K
ボランティア来て良かった ―5月28日(土)


みなさまこんにちは。
こちらは連日雨と風。台風の影響でしょうか。
それでも朝は4時頃から明るくなる米川です。

5月28日(土)報告です。

旧入谷中学校で思い出の写真展初日。
天気は小雨。集合は8時。いつもより早い。

長野のマラソン大会が震災により中止になって、大会用の緑色ジャンパー使ってくださいと南三陸町に送られてきてボラセンで希望者に渡している。
この緑色のジャンパーを写真展期間中ボランティア目印として揃いで着る事になった。

昨日から継続のボランティアは13名。部屋は11。後から団体で応援が入る予定。

チラシでは5月28日(土)〜6月5日(日)の9時〜15時半。
今日は初日で土曜ということでイレギュラーにする。
9時から10時半まで第一部、11時、13時、15時から各一時間半の4部制。各回200名の入場制限。
先週22日(日)アリーナでのフリマに雨の中1000人の来場あったことで用心しているためという。

車での来場者はJA駐車場で整理券渡され、急な坂と階段を徒歩で上り、中学校入り口で並ぶ。
来場受付ではマスクと手袋を渡し、帰りに回収。
写真等は自分・家族のもの以外にも、直接相手に渡せるようであれば持ち帰ることが出来る。
何か一つでも持ち帰ることが出来る方には、住所氏名電話番号を記入してもらう。

2階の志津川‐1の部屋に配置される。
今日は雨で校舎内が暗い。「暗くて見えない」「もっと明るいところでしてくれれば」声が上がる。
マスコミが数社来ていたので、この部屋に来たときにそれぞれに尋ねた。「照明持ってませんか?」
いろんな言い訳を貰った。
「ずっとここに居るわけじゃないから」「各社違うから」「バッテリーが20分くらいしかもたないから」
暗いという現状を共有して欲しい。協力してもらえると助かる。写真展のための写真展じゃない。
そう話すと理解してくれるが具体的に進まない。

部屋で見覚えのある方。工藤君のお母さん。再会が嬉しくて声をかけた。朝の時間に来てくれたんだ。
「見つからないねぇ。何にもなくなったから。結婚式の写真も」と。
展示中の写真には結婚式の写真が多い。
工藤君のお祖母さんも一緒に来ていて部屋もそれぞれ手分けして探している。


「あー!」大きな声があがる。「○○のだ。若い頃の。結婚式」電話をかけて伝えている男性。
ビニル袋と記入ボードを持って近寄る。写真が見つかるとマスコミがすぐやって来る。
「自分のは全然見つからないのに人のばっかり。」と言いながらも喜んでいる。
アルバムを袋に入れて渡し、記入ボードの用意をしていると電話で廊下に出て行く。ついていく。
紺のジャンパーに災害なんとかと書いてあるから役場の人らしい。佐藤。
電話が済んで記入してもらったら佐藤 仁、やっぱり町長だった。
記入してもらった後に
「暗いので照明をください。マスコミの人に協力お願いしてもできないと言う。懐中電灯でもいいです。」と言うと
「暗いね、私もそう思った。ボラセンに言っとく。」

工藤君のお母さんが廊下で何か見つけた。
漁協仲間の若い方の姉妹のアルバム「○ちゃんのは無かったけどね」と申し訳なさそう。
「ほらこれ」と見せてくれたのは、工藤君と兄妹の3人揃っての写真2枚。
一枚はみきちゃんの七五三。工藤君のお兄ちゃんは目元が今と一緒。
よかった。見つかってよかった。ほんとによかった。
奈良の生駒からボランティアに来ている三田さん(カメラマン)が、今回無事手元に戻った写真を復元してくれる、
先着1000枚。このことを一応お母さんにお知らせする。
第一部が終了。中学校入り口でお二人を見送る。

写真など見つかる人も居れば、一枚も見つからない人もたくさん居る。
がれきから拾い出されてもまだ洗浄されていないものがボラセン裏に今回の4倍ほどあることや、
今後も繰り返して開催していく予定があることを伝える。それしか出来ない。

第2部が始まった頃、小林先生から連絡が来た。4人の方とご挨拶。
整理券をもって入る人の列に紛れて入場。開場すぐなので人が多い。
私も休憩にして、車2台で番屋へ向かう。
この10日くらいで瓦礫の撤去が進んだことなど小林先生に話す。
番屋に車を停めたらすぐ隣に工藤君のお父さんの車が停まる。

番屋にトイレが来てる!22日は女性はアリーナまで車で行っていた。

今日も黄緑色のジャンパー着てる。胸の字は世界鷹取祭。
「貰ったものです。これ(世界鷹取祭)なんですか?」
「お祭り。第一回しかやらなかった」と小林先生笑ってる。
小林先生・三谷先生と工藤さんは初対面のようだ。

「河合さんが番屋に物を送りたいので住所を知りたいそうなんです。」と工藤さんに言うと
「ここは無いね。会社のほうに送ってくれたらいま自分達の居るとこに届くから」と名刺をくださる。
三谷先生も「灘の酒を送りますよ」と言っている。

〒986−9733 宮城県本吉郡南三陸町志津川字旭ヶ浦12−5
有限会社 大清   代表取締役 工藤忠清 
090-6055-2131 au
090-3756-1038 i phone
daisei@seagreen.ocn.ne.jp
しづがわ牡蠣工房 http;//www.shizugawa.com/kakikobo/

佐々木さんの50歳のお誕生日。

工藤さんの仲間・佐々木さんは28日50歳の誕生日。
栗駒から来ている菅原さんご夫婦、いつも栗駒の水を持ってきている。
今日は特別に誕生日祝いのまぁるいケーキも持って来ていた。
ろうそくに火を灯し、私たちも含め皆でハッピィバースディの歌、はにかむ佐々木さん。


「12時から餅まきがあるから行こう。」近くにある造船所の上棟式という。
番屋の皆と同じように、堤防から飛び降りたり上ったりして向かう。小林先生たちも一緒。
工藤広樹君「昨日漁協の会議で、牡蠣いかだ、もうおろしていいことになった。準備はもう出来てる。」
力強い言葉。本業が出来るようになって良かったなぁ。「牡蠣予約する」と小林先生。


造船所には人がたくさん集まってきている。
いよいよ餅まき、雨なので中に向かって撒く。私は中々拾えない。
工藤さんが隣で言う。「餅まきは上見ちゃ駄目。下、下見るの。」なるほど。
お餅を入れた帽子を抱えていると、拾った人が入れてくれて帽子一杯になった。
お餅は紅白ある。「子どもの気持ちに戻ったね」と誰かが言う。外で皆で食べる。
工藤さんが自宅の場所を「このすぐ、あの二軒隣」と伝えると
小林先生「同じところに建てる?」 「いやぁもう、高台でしょう」と工藤さん。
小林先生たちはこれから気仙沼へ行く。駐車場でお別れ。雨の中、気をつけて。さようなら。

入谷中学に戻る。あれ?
私が抜けてる間に届いたという、ランタン沢山と投光機とカセットボンベ式発電機。
音はうるさいし排気はとてもくさい。けれども、断然明るい。ランタンは手に持って明かりの足しにする。
発電機は、他のものより一酸化炭素濃度高く中毒死するので室内使用禁止、と書いてある。
今出来る急ごしらえ。出来ることからして、明日にはまた改善していくのでしょう。
町長が言えば動きが早いんだなぁ。偶然かもしれないけど、明るさ欲しいと言って良かった。

志津川高校の避難所リーダー山内さんが来ていた。声をかけた。
「今日はお見舞いに行くのでお休みを貰って。ちょっと寄ってみたけど、これはゆっくり来ないと見れないなぁ。」
避難所では40代くらいの男女数名が運営ボランティアをしている。
避難所の生活は毎日続くし、運営に関わる人々は頼りにされているし、休みを貰うのもままならない。

午後は子ども連れのお母さんが増えた。
背中におんぶ紐で1人、もう一人の娘さんと手をつないでいる若いお母さん。
床のアルバム見ようとかがんでいる。こりゃ大変だ。
「みましょうか。」両手を出して言うと、「いいんですか?」とおんぶ紐をはずしてくれる。
お母さんには少しでもゆっくり写真探してもらいたい。
お母さんから離れるのでちょっとべそかきそうになったけど「あっち行く?」ときくと、「う。」と指差す。良かった。
大事なガーゼハンカチを片手に握っってる。「う。」と言うのとコクっと頷くことで意思表示してる。
写真見たり外見たり遊んでるうちに寝ちゃった。

寝た子を腕に抱えてかがんで探してるお母さんがまだ居る。
他のボランティアスタッフも気にして声をかけた。「大丈夫ですか?」「大丈夫です。」

やっぱりこのフレーズでは難しいねぇ。

お母さん方から大変だとは言わないね。
お母さんはずっとだけどこちらが手伝っても90分だけだしね。
写真展示のボランティアといってもこれは展示会のための展示ではないし、
ここに来ているということは津波で流されているということだから。
ボランティアに出来ることはいくらでもあるよね。
色々とボランティア同士でも話す。
今日写真展示ボランティア来て良かったなと思いました。

矢野智子


 


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