2009年8月8日莫拉克(モーリコット)台風がもたらした豪雨によって、台湾南部の広い地域が大きな被害を受けました。被災地市民交流会は支援金を届けるとともに、2011年の交流会には被災地から関係者を招くなど、大きな関心を払ってきました。
台湾八八水害とは

2009年8月4日フィリピン東北海上に発生した小型の莫拉克台風(モーリコット台風、日本の呼称は台風8号)は、7日花蓮付近に上陸し、台湾の南部地域に記録的な集中豪雨をもたらした。8月7〜10日の4日間の累積雨量は2965mm(阿里山・嘉義県)に達し、これは年間平均降雨量3910mmの実に70%にあたる。(図)

出典 災滿半年重建成果 陳振川重建会副執行長 2010 年2 月8 日

莫拉克台風による被害は、台湾南部の6県に及び、原住民族の居住地である山岳部、河川沿いの平地部、河口の海岸部などに多大な損害をもたらした。(8月8日を中心に被害が発生したため、八八水災、八八風災などと称する。ここでは八八水害と表記する)

集中豪雨は山地を中心に膨大な山崩れ、土石流をもたらすとともに、堤防の決壊などによる浸水被害もひろがった。八八水害による死亡者は677人、行方不明22人、重傷4人 を数える。(2010年2月4日、慰問金支給による。)特に、高雄県甲仙郷小林村は、崩壊した裏山に一気に飲み込まれ、全村消失するとともに、500人近くの人命が失われるという悲劇も発生した。

多数の住宅に被害が及び、居住不能となった住宅は、1767戸に上った。(慰問金支給による。)
道路、鉄道などインフラ被害も極めて深刻である。特に山岳地の集落へ通じる道路が寸断され、長期にわたって孤立する地域が広がった。また、林辺渓鉄橋が崩壊した南回り鉄道は昨年12月末開通するまで一部分不通の状態が続いた。

産業被害も大きく、地域経済に大きなダメージを与えた。農業、養殖など農林水産業被害は約165億元(2009年9月8日現在)に上り、また、山村の観光関連業についても壊滅的な状況が続いている。

台湾八八水害の復興
八八水害の緊急対応は、被災地が広域に及び、情報の不足、交通の途絶、二次災害の危険などにより、極めて困難なものになった。予想を大きく上回る雨量であったとはいえ、緊急対応の遅れなど、政府の対応に対し大きな批判が巻き起こった。

これに対し、災害後20日後には重建特別条例が成立し、災害後1カ月後には復興ガイドラインである重建綱要計画が成立させるなど、復興へ向けての体制づくりや計画策定、さらに執行への動きが加速された。

今回の八八水害の復興を最も大きく特徴づけるのは、被災した地域の内、今後危険とみなされる地域を「特定区域」に指定し、指定された区域内には居住や耕作を認めず、その代わりに、別の場所に政府が土地を用意し、そこに民間の支援団体が建設した復興住宅「永久屋」を無償で提供しようとするもので、今回の災害で採用された新たな復興方式である。

まず、被災した集落などの安全評価を実施し、不安全と評価された集落(約100か所)について、「特定区域」を指定する方針が示された。しかし、特定区域指定に対する不安や疑念は大きく、特に、原住民族の人たちにとっては、永久屋の提供と引き換えに、自分たちの故郷(原郷)を失うことになるのではないかとの見方は根強く、安全を名目とした強制移転に反対する動きが広がった。

永久屋は、政府が土地を用意し、建物は民間の支援団体や企業が建設して被災者に無償で提供するもので、最初の永久屋団地である杉林郷の大愛園区は、災害の半年後には完成し、入居を開始した。しかし、これら永久屋の多くは被災した集落から遠く離れた平地にあり、現地再建を目指す人達は、元の村落の農地に避難屋を建てるなど、現地に留まる様々な試みを行っている。

このように、災害復興の過程で一つの村落が幾つかに分かれる事例があり、又、村落によっては全村移転する事例もある。今年の8月には2年を迎えるが、山岳地の集落では、なお交通が正常化していないところも多く、産業回復を含めた復興を実現するには、多くの課題が山積している。