|
新着情報 |
高雄医学大学合唱部、東日本ツアー 2018.8.27〜28
高雄醫學大學は、1954年に台湾初の私立医科大学として高雄市に設立しました(前身・高雄醫學院)。医・歯・薬・看護・健康科学・生命科学などの学部を擁する、台湾における有
数の医学系大学である。
1990年10月に創立された高雄醫學大學聲樂社〈合唱部〉は、台湾でも数少ない100人規模の合唱団に成長し、コンクールで各種の賞を獲得する実力があります。
今回、55名のメンバー(指揮・陳俊志)が、東日本大震災の被災地を訪れ、演奏や交流を行います。指揮の陳先生は、以前六亀高校の合唱団を引率したことがあります。
8.27〜28にかけて、大槌、南三陸、石巻を訪ね、歌声を披露し、交流をします。
詳しくは→こちら
|
7月7日午後7時30分から、高雄市文化センターで六亀高中感恩音楽会が開催された。大型台風の襲来が心配されたが、当日夜半まで雨風はほとんど影響を受け、1000人近くの観客が見守るなか、音楽会は定刻に始まった。
高雄市范巽緑教育局長の挨拶の後、第1部として台湾民謡やWe are the worldなど6曲の歌が次々と披露された。台湾のコンクールで1位をとるほどの歌唱力を通して、災害を乗り越えてきた7年の努力や熱情が伝わってくる。
この後、昨年日本へも同行してきた太鼓クラブが出演、とても楽しいパフォーマンスを見せてくれた。
休憩を挟んで第2部が始まる。今度は全員原住民族の民族衣装を纏って、昨年の東北交流訪問のとき聞いたお馴染みの「布農組曲」も含め、原住民族の楽曲を次々と披露してくれた。六亀高校のある山間地・六亀区には、原住民族の居住区も多い。父兄3人によるトリオ(歌、ギター、小太鼓)の出演もあったが、プロ並みの力量と感じた。
私も、簡単な挨拶をさせていただき、大槌高校、石巻好文館高校から持参したビデオメッセージを披露させていただいた。
予定した楽曲が終わったのは10時、それからアンコールが3曲続き、音楽会が無事終了したのは10時30分に近づくころだった。最後に、陳弘裕校長、陳俊志医師(合唱指導)、蔡宜倫さん(太鼓指導)など六亀高校関係者、そして高雄市范巽緑教育局長などを含め、舞台上で記念撮影を行った。
翌日は明け方から、猛烈な雨と風。おそらく台風も気を使って、時間を調整してくれたのだろう。
次の日帰国の際、六亀高校合唱団の指導者・高雄市の歯科医師陳俊志先生と学生二人(共にこの6月で卒業)が、高雄空港まで見送ってくれた。
「これからも台湾と日本の音楽交流続けましょう!」
(2016.7.垂水英司)
|
2013年、埔里Butterfly交響楽団が設立され、その後2年間で150回以上の大小の演奏が行われました。
地域の子供や若者のために、音楽を通してもう一つの生命の視野を開くにはどうすればいいか? 音楽はどうすれば社会に貢献できるか? このように考え続けた結果、バタフライ交響楽団、国立?南国際大学、国立?大付属高校及び新故郷基金会は、共同で「蛹(さなぎ)の声音楽計画(El Sistema Puli エル・システマ埔里)」を今年設立しました。
エル・システマは、1975年経済学者で音楽教育者でもあるホセ・アントニオ・アブレウが、11人の子供たちを自分のガレージへ招集し、一緒に音楽の練習や勉強を始めたことから誕生し、世界に広がりつつある「音楽社会運動」です。
エル・システマ埔里に現在協力している学校は、1つの大学、1つの高校、6つの中学校及び 8つの小学校です。冬と夏の休みには音楽キャンプを行い、音楽教師を偏僻な農村の学校へ送って授業をします。また、毎月2回日曜日の午後?大付属高校で総合団体練習を行い、都市と農村の子供たちが一緒に音楽の夢を育んでいます。
|
|
台湾南部地震(0206震災)義援金、ご協力ありがとうございました!
台湾南部地震(0206震災)の義援金呼びかけに対し、多くの方々から温かい支援をいただき、総額450万円を上回る募金が集まりました。皆さま方のご協力に対し、心より感謝申し上げます。有難うございました。
寄贈先は、これまで交流を重ねてきた台湾の関係者に検討していただき、被災地で地域教育に取り組むNGO、「台南市社區大學研究發展學會」に決定しました。
3月8日、代表が台南市で行われた贈呈式に出席し、台南市社區大學研究發展學會の代表に、震災復興まちづくり、地域防災教育などの活動費用に役立ててくださいと「贈呈目録」を手渡しました。台湾側からは、厚い木版製の感謝状が各団体宛に贈られました。
台湾側は、今回の日本のNGOからの募金に大変大きな励ましと刺激を受けた様子で、強くてしなやかな防災まちづくりを推進するため、「南不倒学堂」という、分野、地域を越えたネットワークも誕生しました。
新たな被災地交流の発展に期待したいと思います。
詳しい状況は、こちら。
|
日本—台湾 被災地の絆を強めよう
2016年台湾南部地震募金のお願い
2016年2月6日深夜3時57分、台湾高雄市美濃区を震源とするマグニテュード6.4の地震が発生しました。台湾南部一帯に大きな揺れを記録し、特に台南市では16階のマンションが倒壊したほか、数棟のビルが傾き、65名の死者や多数のけが人がでるなど大きな被害に見舞われました。倒壊した建物には、なお約60人の人たちが閉じ込められているとみられています。(2月11日現在)
1995年阪神・淡路大震災を体験した私たちは、1999年台湾921大震災を契機にして、台湾の被災地と市民レベルの交流を始め、さらに2004年の中越地震、2009年の台湾88水害、2011年の東日本大震災などを通して活動を広げ、交流を発展させてきました。その間、台湾の皆さん方からいただいた多くの支援や交流の熱意は忘れることができません。
このたびの台湾の災害に際し、これまでの交誼のしるしとして、いくばくかの支援と交流の気持ちを伝えたいと考え、これまで被災地交流に関わった組織や個人の呼びかけで募金活動を始めました。
募金の寄贈先は、これまでの台湾の交流先である、新故郷文教基金会董事長・廖嘉展さん、高雄橋頭芸術村運営長・蒋耀賢さん等と今後協議のうえ決定します。2月末に集約、3月11日までに手渡すよう進めたいと考えています。
日本と台湾の被災地の絆を強めるため、積極的なご協力をお願いします。
|
呼びかけ団体等
(2月11日)
|
槌音プロジェクト 臺隆明(大槌)
(株)街づくりまんぼう 社長 西條允敏(石巻)
石巻市文化協会 会長 西條允敏(石巻)
石巻市国際交流協会 会長 久我恵美子(石巻)
ISHINOMAKI2.0 松村豪太(石巻)
松島町国際交流協会 櫻井靖(松島)
中越防災安全推進機構 稲垣文彦(中越)
たかとりコミュニティセンター 神田裕(神戸)
野田北ふるさとネット 河合節二(神戸)
潮流プロジェクト 宮崎みよし(神戸)
阪神・淡路大震災「1.17希望の灯り」 藤本真一(神戸)
阪神・淡路大震災1.17のつどい (神戸)
被災地市民交流会 垂水英司(神戸) |
|
募金は、各団体へお問い合わせ下さい。
※被災地市民交流会への募金の方は下記口座です
三井住友銀行・六甲支店 普通預金口座No.4264317「被災地市民交流会」 |
松島町国際交流協会訪問団一行、台湾埔里・日月潭へ ・・・ 2015.11
―大歓迎を受け、今後の交流発展を確認
2011年7月、日月潭からの義援金を宮城県松島町の復興へ届けたのを契機に、台湾から訪問団が訪れるなど、埔里・日月潭と松島の交流が続いてきました。今回は松島の国際交流協会主催の交流訪問団が、これまでの支援のお礼などで埔里や日月潭を訪れたものです。訪問団は台湾の関係者から大歓迎を受け、今後の交流発展を互いに確認しました。
|
ペーパードームで記念撮影 |
訪問団は、櫻井靖団長(松島国際交流協会副会長)、阿部松島町観光課長、志賀松島町観光協会専務理事など19名で、11月8日仙台空港を出発、9日夕方埔里のホテルに到着しました。その後早速近くの桃米村の紙教堂(ペーパードーム)園区へと向かい、新故郷基金会主催の交流宴会で歓迎を受けました。そして被災地交流のきっかけになった神戸から移築されたペーパードームを見学した後、ホテルに戻りました。
明くる10日は朝から日月潭へ。向山行政及遊客センターで日月潭国家風景区管理処張振乾処長に面談し、これからの両観光地の交流発展をめぐって懇談しました。
|
櫻井団長が張処長に記念品 |
その後、水社埠頭から遊覧船に乗りこんで湖上を遊覧しました。この遊覧船を運転するのは、チャリティ乗船券の義援金集めに奔走した船長さん夫婦です。
昼食は、日月潭のある魚池郷の陳錦倫郷長さん接待で、地鶏(土鶏)料理に舌鼓を打ちました。
昼食後は、日月潭を見下ろせるゴンドラ・ロープウェーに乗った後埔里へ戻り、埔里名産の紹興酒工場へ到着しました。当工場は震災で大きな被害を受けましたが、復興後は買い物もできるセンターになって多くの観光客を迎え入れています。
|
記念品の新商品 |
続いて、この10年ほどで埔里の小さな店から一躍台湾全土に知られるようになった18℃チョコレート工房へ。ここのオーナーの茆社長は大埔里観光発展協会会長で、今回松島訪問団受入れのホスト役です。日本からチョコレート作りを学び、飽くなき努力とアイデアで品質のいい商品を作り続け、売り上げの多くを社会活動に投じてもいます。売り出し間近の新商品(ポーチにいれたチョコレート)を記念品にいただき、一同大いに感謝しました。
夜は大埔里観光発展協会主催で、牛耳石雕公園で交流会議が行われました。茆会長ほか20名、ゲストとして埔里鎮長、南投県秘書などが台湾側から出席、それぞれ歓迎や謝礼のメッセージを述べました。そして記念品を交換して、今後の交流発展を約束しました。
引き続き日本料理で歓迎宴会が開催され、台湾と日本のメンバー同士が楽しい交歓の時間を過ごしました。
|
交流会議風景 |
11日は、朝一番に埔里鎮の図書館を訪問した後、埔里の手作りの紙工場・廣興紙寮を訪ねました。たくさんの台湾の観光客に交じってDIYで拓本づくりにも挑戦。こうして埔里・日月潭での交流日程はすべて終了、別れを惜しみながら、台北に向かいました。
11/9 |
埔里冠月精品ホテル到着 |
紙教堂(ペーパードーム)園区
交流宴会(新故郷基金会) |
11/10 |
日月潭へ |
向山行政及遊客センター
(日月潭国家風景区管理処処長) |
日月潭遊覧船乗船 |
昼食 (魚池郷郷長) |
日月潭ロープウェー |
埔里へ |
埔里酒廠(紹興酒工場) |
18°Cチョコレート工房 |
交流会議・歓迎宴会/牛耳石雕公園樹屋
(大埔里観光発展協会会長ほか20名、埔里鎮長、南投県秘書) |
11/11 |
埔里鎮立図書館 |
廣興紙寮 |
台北へ |
|
|
歌声を通し、心通わせた台湾と東北の高校生たち
― 盛り上がった六亀高校合唱団の大槌・石巻訪問 ―2015.6
約半年の準備を重ねてきた六亀高校合唱団・太鼓部の大槌・石巻訪問は、6月28日の大槌高校訪問、29日の石巻好文館高校訪問を中心に全日程を終えました。
両高校では、それぞれ校長先生をはじめ全校あげて六亀高校の合唱団・太鼓部を迎えてくださいました。それぞれの高校の吹奏樂部や合唱部などが互いに演奏を披露し、虎舞いやダンスを教え合うなどの企画もあり、音楽を通して交流を深め、和気あいあいの内に心通わせることができました。
六亀高校の学生たちは、大槌、石巻そして陸前高田などで被災地の実情を視察したほか、大槌では大槌町長表敬やショッピングセンター・マストでの街なか演奏も行いました。
日本の東北の二つの高校と台湾の六亀高校は、共に災害で大きな被害を受け、音楽活動を通じて被災を乗り越えてきたという共通点があります。遠く離れていながらも同じ境遇にあったことを、目で見て、歌を歌って、心から実感できたことが今回の最大の成果だったといえます。
交流活動の詳しい報告は、こちらから。 |
|
|
|
|
|
|
6月末、台湾・六亀高等学校合唱団総勢70名が大槌、石巻へ
台湾南部高雄の水害被災地にある六亀高校の合唱団及び太鼓部の一行70名が、6月末、東北の被災地を訪れて、歌声を届けると共に日本の高校生らと交流活動を行います。
六亀高等学校は、高雄市の北端、風光明婦な平地と山地が交わる六亀区にあり、漢民族・客家・原住民族等多様な民族の子弟が学んでいます。88水害(8月8日莫拉克台風による豪雨災害)が発生した2009年に合唱団が設立され、災害の苦しみから抜け出し、新しい未来に向かうための大きな力となりました。その後先生方の熱心な指導の下、様々なコンクールで優秀な成績をあげるまでに成長しました。
こうしたことから端を発して、2015年日本を訪問する国際文化交流活動の計画が持ち上がりました。88水害などを経験した六亀高等学校は、合唱団の成立以来多方面から支援を受けました。3年前に311巨大地震と津波に襲われ、現在も痛みを抱えている日本の東北地方を訪れ、音楽や芸術による交流を通じて、震災後の心の再建と震災に立ち向かった経験を一緒に分かち合いたいと考えたのです。そして、費用を積み立て、寄付を募りながら実現にこぎつけました。
参考 2015 六亀高校合唱団及び太鼓部日本訪問演奏 募金ビデオ
被災地市民交流会は、高雄の芸術村白屋(運営長蒋耀賢)からの依頼を受け、槌音プロジェクト(代表臺隆明)、石巻市文化協会(会長西條允敏)の皆さんと協力しながら、大槌高校と石巻好文館高校への訪問を軸に交流の企画を進めてきました。
是非、この交流計画を成功させたいと願っています。
訪問メンバー:
1. 合唱団: 52人
2. 太鼓部: 6人
3. 引率教員: 12人(陳弘裕校長を含む〉
訪問交流期間: 2015年6月28日(日) ― 7月2日(木) 4泊5日
主な行程は下表。
主な訪問地及び交流先:
岩手県(大槌町) 岩手県立大槌高等学校(学校長 小田島正明)
宮城県(石巻市) 宮城県石巻好文館高等学校(学校長 狩野宏史)
6/29
(月) |
9:00 大槌被災地視察
11:00 大槌町長表敬訪問
11:45 復興経験交流(城山)
13:40 大槌高校交流活動
17:30 街なか演奏(マスト) |
6/30
(火) |
10:00 復興経験交流
(陸前高田第1中学校)
14:00 石巻被災地視察
16:00 石巻好文館高校交流活動 |
|
京都で「台湾のまちづくり懇談会」開催
新故郷文教基金会の廖嘉展董事長と顔新珠執行長、および台湾長栄大学の邵珮君副教授が、阪神・淡路大震災20周年行事に参加するため神戸に来られる機会に京都にもお迎えし、台湾のまちづくりなどについてお聞きしながら、関心をお持ちの方々と意見交換や懇談をする場を持ちたいと思います。 皆さま、お気軽にご参加ください。
2015年1月19日(月)午後4時〜
場所 東山いきいき市民活動センター
詳しくはこちら
|
埔里Butterfly交響楽団
「槌音プロジェクト」友情出演と交流の旅・2014.11.16−21
音楽を通して触れ合った6日間・成功裡に終わる!
廖嘉展団長、顔新珠相談役、5人の演奏団員(プロの首席団員3名と高校生の団員2名)など、埔里Butterfly交響楽団の総勢11名は、「槌音プロジェクト」友情出演と交流のため11月16日来日しました。
●11月17日には 東京サントリーホール(小ホール)で第3回目の「槌音プロジェクト」チャリティコンサートに出演しました。
●11月19日には大槌で「三陸花ホテルはまぎく」ロビーコンサートのほか、大槌中学校吹奏楽部との交流・演奏を行いました。
●11月20日には、大槌から被災地をバスで南下、途中大船渡と石巻では地域の人たちと交流と演奏を行いました。
この音楽を通して触れ合った6日間の旅は成功裡に終わり、新たな交流の輪が広がりました。
関係者の皆様、本当にご苦労さまでした。
詳しい報告は、こちら |
埔里Butterfly交響楽団メンバーが来演!
「槌音プロジェクト」チャリティコンサートなどに出演
1999年に発生した台湾921大震災後、被災地・埔里では多くの音楽家の支援もあり、音楽に対する熱意が高まりました。そして、2013年民間の力を集結して誕生したのが、台湾で最初の郷鎮(町村)レベルの交響楽団・埔里Butterfly交響楽団です。この楽団団長の新故郷文教基金会の廖さんから、日本にも演奏に行きたいとの話がありました。
そこで、東北の被災地・大槌で、復興のシンボルとして音楽ホールを建設しようと取り組んでいる「槌音プロジェクト」に相談を持ち掛けました。大槌の関係者からも、小さな地方の被災地で共に音楽を軸に自らの力で立ち上がろうとしていることに大きな関心と共感を得ました。
そして、来る11月17日東京で予定されている槌音プロジェクト第3回チャリティコンサートに埔里Butterfly交響楽団が友情出演し、大槌でのコンサートや交流を行う計画が実現しました。11月16日、廖嘉展団長、5名の団員など12名が来日します。さらに、大船渡や石巻にも立ち寄り演奏と交流を行います。
●11月17日 東京 「槌音プロジェクト」チャリティコンサート
(サントリーホール)
●11月19日 大槌 三陸花ホテルはまぎくロビーコンサートほか交流・演奏
●11月20日 大船渡・石巻 交流と演奏
今回の来演が東北の被災地への支援の一つとしてだけでなく、今後台湾と日本の文化交流にとって一つの礎になればと思います。 |
大埔里観光発展協会の一行、再び松島へ
石巻や女川も訪問
|
交流会議後記念撮影 |
昨年、松島との交流を目指し松島を訪れた大埔里観光発展協会の一行、茆会長、廖嘉展さんなど26人が、18日から19日にかけて再び松島を訪れた。遠路新潟からバスで夕方大観荘に着いた一行を、大橋松島町長、櫻井議会議長、磯田観光協会会長など13名が出迎えた。双方会議室で対面し、それぞれ代表の挨拶、記念品の交換など、今後の交流発展を約した。
あくる日は松島を視察した後、午後石巻に向かった。西條さんの出迎えを受けた一行は、石巻の被災地を視察、夕方からは西條さんも含めて夕食懇談会を開催、その後女川に向かい女川町トレーラーハウス宿泊村ELFALOに一泊した。
次の日は福留さんの案内で女川、雄勝、大川小学校などを視察した後、那須塩原へと向かった。急がず慌てず長い目で観光交流が発展していくことを願っている。
|
台湾921震災15周年シンポジウム開催
9月14日、台湾埔里の桃米村桃源小学校で台湾921震災15周年シンポジウムが開催され、神戸からは神田神父と垂水が出席した。中国四川からも郭紅さんなどが出席し、921震災、88水害、四川地震、311震災などの復興経験をそれぞれ報告し、討議を深めた。多くの懐かしいメンバーにも再会することができた。
|
シンポジウム終了後記念撮影 |
明くる15日、16日は海外からの出席者を中心に、1日目は埔里周辺(親愛部落小学校、南豊部落、虎嘯山荘),2日目は南部の被災地域(竹山車籠埔断層保存園区、高雄那瑪夏、小林村)を見学し、たまたま芸術家駐在で神戸から到着したばかりの竹内さんがいる橋頭芸術村も訪れた。さらに明くる17日の午前中は8月初めに発生した高雄のガス爆発現場も視察した。
|
演奏会の相談 |
また、9月13日から14日にかけて、大槌に音楽ホールを作る活動をしているグループ(丸谷さん、竹森さん、臺さん)も埔里を訪れた。11月埔里バタフライ交響楽団が応援演奏に日本を訪れることになっているが、それに先駆けて代表メンバーが訪問したものだ。
ともかく慌ただしい5日間であった。
|
暑かった、そして忙しかったが、実りも多かった
白屋帰郷プロジェクト・台湾交流訪問団報告
1年かけたアートプロジェクトで石巻、大槌、神戸を巡回し今年3月台湾に帰郷した「白屋」、そして6年前被災地交流の証として神戸から台湾へ移設した「ペーパードーム」。もう一度台湾で再会し、交流の絆を深めようと、2014年7月13日−17日白屋帰郷プロジェクト・台湾訪問交流団が台湾を訪れた。
交流団は、東北から西條允敏さん以下4名、神戸から被災地市民交流会の5名、あわせて総勢9名である。
最初に訪れたのは「ペーパードーム」のある南投県埔里だ。一日たっぷりかけて日月潭、埔里市街地、南豊セデック集落などまちづくりの現場を訪ねた後、夕方桃米村のペーパードーム園区に到着した。初めて見るメンバー、再会のメンバー、様々な思いでしばし周りを散策した。そして夕食後、2時間半車を飛ばして高雄の芸術村へ。到着したのは夜10時であった。
|
側面から見たペーパードーム(紙教堂)。池に映るところが絵になる。
|
あくる日の午前中、高雄市の港湾に隣接した地域にあるいくつかのアート・ポイントを視察する。そして午後、いよいよ白屋の落幕儀式(フィナーレ・セレモニー)だ。台湾式の土地の神様(土地公)に安全祈願する地鎮祭が始まる。石巻、大槌、神戸でも欠かさずこの儀式をやってきた。2か年にわたったプロジェクト、様々な紆余曲折があったものの事故は皆無であったのは、神様のお蔭であったかもしれない。
「白屋が最終的に素晴らしい環境の中に納まった姿を見て大変感動した」石巻プロジェクトの実行委員長だった西條さんの感想だ。宴もたけなわに入ろうとする頃、予定していた台北行新幹線の時間が迫って来る。私たちは、用意していただいた車に駆け込むように乗り込んで芸術村を後にした。
|
石巻、大槌、神戸でも欠かさずやった台湾式地鎮祭
|
熱い中、超過密スケジュールでご参加いただいた皆さん、大変お疲れさまでした。台湾の新故郷文教基金会及び橋仔頭白屋の関係者の皆さん、いつものことながら今回も周到な準備と熱い接待(おもてなし)をいただき、大変有難うございました。
皆さん、お陰様でこれからの交流の足がかりが、また一つ深まったと思っています。
詳しい報告はこちら
|
「埔里Butterfly交響楽団」の誕生物語
神戸から台湾へ移築したペーパードームがある桃米村は、埔里鎮にあります。埔里鎮は、南投県の山間部にある人口8万余の鎮(町)で、隣接する三つの郷の中心機能を担っています。
1999年に発生した921大震災で大きな被害を受けました。震災後、多くの音楽家も支援に駆けつけたのですが、その縁もあって昨年、「埔里Butterfly交響楽団」がこの小さな町に誕生しました。この楽団設立の中心で尽力しているのが、新故郷文教基金会の廖さんです。
以下、「埔里Butterfly交響楽団」の誕生物語を紹介します。
音楽の翼に乗って、飛翔!
|
北港の馬祖のお祭りで、白屋展示
2014,4.18 台湾雲林県北港
4月17、18、19日北港という町で道教の廟(朝天宮)の祭りがありました。馬祖という海の神さんと巡行するお祭りで、毎年行われる有名な祭りです。 橋頭芸術村の村長がこの町の出身ということで、芸術村の関係者は毎年この祭りに参加します。
台湾の3大巡行祭の一つで、爆竹など鳴り響き大変賑やかなものです。
今年は、日本を巡回して台湾に戻った白屋を、このお祭りに合わせて北港の街の一つの公園に設置しました。 懐かしい
日本で制作した作品を中心に展示してありました。
例によって「じょっほー」の掛け声で写真を撮りました。(垂水)
|
|